バカレレ!

サッポロで遊び倒すブログ

奢ること・奢られること

ども!ヲータケです。

大好きなお金について書くよ。

 

 

「奢る」を科学する

ちょうど1年くらい前まで、僕は「人の金でメシを食う」ことが「なんとなく」嫌いだった。

つまり、「奢られる」ことを極力避けて生きてきたのだ。

いや、親に養ってもらってた実家暮らしの分際で言えたことじゃないけどさw

 

でも、友人、サークル関係、バイト関係、彼女とかとメシ食いに行くにしても、自分で食べた分は極力自分で支払っていた。自分で「奢られた」と認知した回数は、片手の指で収まる程度だと思う。

「なんとなく」の部分は後述するけど、とにかく、「人の金でメシを食う」のが好きではなかったわけだ。

 

翻って、こちらから誰かに奢ることはそこそこあったと思う。

まあ、人間って後輩や彼女ができると自然とそうなるよね。

んで、ふと、「奢られるのが苦手な自分が、人に奢る時ってどんなときだっけ」と考えてみると、これが結構いろいろ細分化できて面白い。

今回は奢ること・奢られることを科学していきたい。

 

なぜ、奢られるのが嫌だったか

まず、「なぜ奢られることが嫌だったか」について考えたい。

個人的に、これは大きく2つのパターンのヤカラの存在が大きい。それぞれ見ていこう。

 

「先輩だから仕方なく.....」感を出しながら奢ってくる人

まず、これ。僕が奢られたくなかった理由の圧倒的No.1である(当社比)。

よっぽどのことがない限り人を恨んだりはしない僕だけど、これをやってくる人は秒で「うわー、◯ねばいいのに」って思っちゃう。

 

そもそも、「後輩だから」という理由だけで、「奢る」という帰着に至るのは、蓋然性が低すぎない??

年下と一緒にメシ食うからって払う必要ないんだよ??

 

まあ、サークルにせよバイトにせよ会社にせよ、日本のいずれの社会にも「タテの関係」が存在する。

んで、「先輩>>>>>>>>>後輩」という暗黙の了解は未だに根深い。

これが根絶されない限りは永久に文化の一部として残るんだろうな。

 

だけど、その「見えないもの」になんとな〜〜く従って、イヤイヤ〜な感じでため息まじりに会計係の人にお金を渡す時のあの姿勢が死ぬほど嫌いだ。

人としてハンパなくみっともないし、マジで後味の悪すぎる食事になる。

それなら僕が払うからいいよとさえ言いたくなる。

外で飲み食いするときは、なるべく美味しいものを食べたいのだ。

 

仮にも「後輩より大人」である存在なら、せめてクールに素面でスッと払う方が気持ちよくなるから。見てるこっちがね。先輩の姿を後輩はちゃんと見てるよ。

 

下心全開で奢るってくる人

これは2通りに細分できる。 

「金銭的な見返りを孕んだ下心」と「性的な見返りを孕んだ下心」だ。

 

金銭的な見返りを孕んだ下心

まず、前者。

これは、「今回はコッチが奢ったんだから、次はそっちが奢ってくれて当然だよな」的スタンスの人だ。

僕も含めて、「建前として」このフレーズを言う人は多いと思う。

でも、マジでタチが悪いのは「本気で」これを言ったり、思っちゃったりする人だ。

これをガチで言っちゃう人の口癖は「え〜〜〜あの時奢ってやったじゃんよ〜〜〜」と「世の中ギブアンドテイクだろ〜〜」のどっちかだ。

何を訳のわからないことを言ってるんだい、Mr./Ms.クレメンス。

 

こういう「見返りを本気で当然に求めてくるタイプ」のMr.クレメンスに対しては、黙って奢り返してやって、二度と一緒に飲みに行かないのが精神衛生上よろしい。

こんな小物に大切な時間と金とエネルギーをくれてやること自体もったいない。

 

性的な見返りを孕んだ下心

次に、後者。まあ、これは番外編だ。

恥ずかしながら僕もこのタイプだ、反省する。

てか、世の中のオトコはだいたいこれだ。

オトコがオンナに奢る時はだいたい「もしかしたらヤレるかもしれないから」という淡い少年心を抱いている。

オトコはゴハンだとか飲みだと称し、金と美味な食物を利用しながらあの手この手でSEXまで持ち込みたいだけなんだ。当然だ。SEXは気持ちいいから。

僕も学生の頃、彼女にご飯を奢ったあと、「じゃあ、このあとはちょっと....」なんてけしかけたけどガッツリNOを突きつけられた時はよくシュンとしたものだ。今も大して進歩はしてないが。

 

逆に、もし女性側で「ヤりたいから男に奢る」なんて人がいたら一戦交えてみたい..!!

じゃなくて、かなりマイノリティだと思うから誇りに思うべきだ。ブルゾンちえみよろしくオンナを全開にしていけばいいと思う。

 

ちなみに、同性同士でも、この意味は十分ある。

人間は多様だけど、同性愛と異性愛における「性的な下心を含んだ奢り」に差異なんてほとんどない、と個人的に思う。ヤりたい、ただそれだけ

肉体と精神を同時に満たすために人は他者に金を出しがち。

 

奢られることに抵抗がなくなった

さて、「奢られるのはキライ」ということを書いてきたけど、これはあくまで過去のハナシ。

 

あれから時は経って、僕は奢られるのがかなり好きになった。

メシ屋なんかで「奢りだから遠慮なく食べて」と言われたら、マジで遠慮はしなくなる。全力で乗っかる。そして、自分でも引くぐらい遠慮せず頂く。もちろん感謝はするが。

 

こうなったのは、たぶん、移住先を決める旅に出た時の経験が大きい。

話を少しそらすので、興味のない人はここからサッサッサーとスライドしてくれ。

 

 

僕は、去年の8月から10月まで、日本全国をクルーっと回り、各地でいろんな体験をしてきたわけだけど、一番印象的だったのが、カウチサーフィンヒッチハイクだ。

 

例えば、長野県は戸隠にて山奥にソバを食べに行きたくて、ヒッチハイクで心優しき中年夫婦に乗せてもらい、挙句、ソバをご馳走になってしまった。

というのも、夫婦ともにウクレレを弾くのが趣味で、完全に僕とウマが合ってしまい、あれよあれよと奢ってもらうに至ったワケだ。

そして、別れの際に車内で、ささかながらウクレレを弾いてみせた。たしか、What a Wonderful Worldだったと思う。

人の心は視覚的には見えないが、お二人とも甚くよろこんでいた姿をいまでも覚えている。

この世に正解はないが、ウクレレを持って旅に出たことは限りなく正解に近いと思えた。

 

また、岡山県は足守町で、カウチサーフィンのつながりで、ど田舎のおウチにお邪魔したことがある。

あの日は、ホストのヒデキさんの親父さんが誕生日だったらしく、ヒデキさんの友人方が豪勢なBBQをやっていたなかにシットインしたのを覚えている。

山奥でダイナミックな火にあぶられるジビエの肉とキンキンに冷えたビールをいただき、えらく感動してしまった。初めて本当の肉を食った気がした。

そして、ヒデキさんの親父さんや友人も音楽をやる人々で、酒も進みみんなおもむろギターやジャンベを持ってきたので、僕もウクレレで対抗し、ともにぶっ飛んだ音に身を浸した。アホのひとつ覚えで演奏したWhat a Wonderful Worldがサイコーだった。

 

話を戻そう。

この旅のなかで、僕は「気持ちよく奢られる感覚」を知った。

裏を返せば、これは「気持ちのいい奢り方」を知ったのと同じだ。

 

相手が差し出してきたものに遠慮は要らない。もらえるものは全部もらう。

だけど、自然と、僕もその時に与えられるものは、すべて相手に与えたくなる。

あるいは、頂いた恩は、ありがたく受け止め、また他の誰かに自分が与えていけばいい。もちろん、見返りなんか要らない。だって、すでに与えられたのだから。

 

思えば、大学生の時にふと、誰か(彼女以外)に奢りたくなった時、別に何にも考えていなかった。

あったのは、ただなんとなく「奢りたい人がいたら、奢る」みたいな感覚だけだったなと。

 

うまくは言えないけど、奢ること・奢られることは、本来、相互反応的に「つい、与えたくなってしまう」もので、実にピュアな行為なのだと直感的に思う。

そこには、見えない圧力や暗黙の了解に屈した仕方なしにという気持ちも、ゲスな下心もお呼びでない。

 

サクッと気持ち良く奢れる人間になりたい

そもそも人間は「お互いに与え合うようにできている」んじゃないかと、最近は思う。

お前のものは俺のもの。俺のものはお前のもの。的な感じで。

いわゆる、逆ジャイアニズムというやつだ。逆ジャイアニズムに関してはこの本がオススメ。 

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だが、言うは易し行うは難しで、ピュアな「奢る・奢られる」ということはなかなか成立しない。

人は「与える」欲求以上に、「もらう」という大きな欲求を備えているからだ。

人間はみな等しくMr./Ms.クレメンスの素質を持っているのだ。

 

 

そんな中で、自分の立ち回りを考える。

 

残念ながら、いまの僕はお金持ちじゃないので、まだまだ人にガツガツと奢れる人間ではない。

奢りすぎて余裕を失って、「気持ちいい奢り方のできない人」になってしまっては意味がないし。

 

しかし、あの旅で、多くの恩をもらって生きながらえた経験を振り返れば、やっぱり人に何かを与えたくなる。

それこそ、自分が何かを与えた人が、「自分も与えよう」と自然に思うくらい、気持ち良くスカッと奢れる人間になりたい。

 

そのためにまずは稼がねば。

 

ではでは