バカレレ!

サッポロで遊び倒すブログ

「ギャップ」の正体

最近、ウェブと現実で大きな「ギャップ」があると言われるヲータケ(@hiddy_ukulele)だ。どうもどうも。  

 

「ギャップ」

僕が高校生の時くらいから流行ってる感じがあるこの言葉ね。服の小売してる方じゃないよ。

端的には、「他人から見た、ある人の普段のイメージと現実の差」とか「他人から見た、ある人の意外な一面」って感じかな。

派生語には、「ギャップ萌え」「ギャップ萎え」とか色々あるよね。

 

ぶっちゃけて言うと、「ギャップ」って「人間のホントしょーもない性質」から生まれてると思ってて。

今回は、この「ギャップ」について書くよ。

 

 

人は「なんとなく」で他人を決めがち

ヒトって兎角、他人を「なんとなく」で決め付けてしまう。これはもう、しょうがない。そういう生き物なんだって割り切るしかないよね。笑

 

流れとしては、まず、人のビジュアルイメージが先行しちゃって、それを内面にも勝手に反映させて、その人の勝手に全体像を作り上げてしまうワケだ。 

例えば、テレビに映る芸能人を見ても、「その人の、テレビに映っているその部分だけ」しか見ていない。それしか見えない、って言った方がいいかな。

ちょっと前だけど、ベッキーとゲスのイザコザだって、「え〜、あのベッキーが〜?」と視聴者の多くが思ったはず。

それは、結局ベッキーの「テレビに映っている部分しか」見てなかったからやん。

ゲスはまあ、ゲスっぽくてそのまんまだけど。

 

んで、これは、個人が発信するブログとかフェイスブックとかでも同じで。

人は、「そこに書かれているモノや貼られている写真・画像だけ」で、発信者を判断しちゃう。

むしろ、ウェブ上では、人は「それでしかその人を判断できない」とも言える。

翻って、もちろんそれをコントロールできれば、ビジネス的な道筋はスっと作れるっぽいんだけどね。

 

ちなみに、ここまで、クッソ当たり前のことしか書いてないからね。笑

 

「ギャップ」は「他人を『面』でしか捉えられていない」ことの裏返しだ

結論から言うと、「ギャップ」って「自分は、他者を『面」でしか捉えられてない」ってことの裏返しなワケだなと。

 

さっきのと重複するけど、テレビやネットでは、そこに映る人を「面」でしか捉えることができない

テレビとパソコンて、物理的にも平面ぽい感じあるしね。笑

つまり、多くの閲覧者は、そこに映る人に対し「勝手なイメージ(面)」を抱きながら閲覧に臨む。

そして、「その人が『勝手なイメージ』とは矛盾する行動」をとった途端、批判・否定の嵐を起こし、あげく「そんな裏の面があったのか〜。ギャップあるわ〜。」とか言っちゃうワケで。

結局、これって「そこに映る人を2面性」でしか捉えられてなくね?

 

んで、世に言う「ギャップ」というのも、つまるところ、この類の派生だなぁと思う。

テレビやネットと違って、リアルに対面で会う人でも「ギャップあるよね〜」とか言っちゃうのは、換言すれば「私はまだあなたのことを『面』として浅くしか見てない人間なんですよ〜」って意味になりそう。

これって、なんかバカっぽいし、普通に相手の失礼だよね。笑

でも、人間の「なんとなくで他者を決めつけてしまう」という性質を鑑みると、ついつい言ってしまいがちだよね。

もうね、しょうがないことなんだろうなと。

 

つまるとこ、「ギャップ」は「情報の受け手側のペラい見方によって、起こるべくして起こる、他者に対する理解不足の裏返し」と言えそう。長っ。

 

 人を「面」ではなく「球体」として捉える。

確かに、「多くの場合、人は他者を 『面』として捉えがち」というのは、人間の性質としてしょうがない。

「ギャップ」って言葉は生まれるべくして、生まれたようなもんだよね。

 

でも、その性質が悪い方向に増幅されると怖くね?

例えば、芸能人が不倫したりして世の中からぶっ叩かれたり、 最近だと有名ユーチューバーのはじめしゃちょーが二股だか三股かけて、ファンが一気にアンチになって活動休止に追い込まれたりってあるじゃん。

結局、ああ言うイザコザは、「人が他者を『面』としてしか捉えられてない」ことが生む弊害だなぁと。

言っちゃえば、有名人に対して、ファンや閲覧者が勝手に「不快なギャップ」を感じて、勝手に暴れてる感じだよね。

自分の恋人や近しい人が不倫・浮気・二股してるならまだしも、遠い他人をぶっ叩くとかよっぽどヒマでパワー持て余してないと出来ないっすよ。笑

世の中の99%はどうでもいいのに、当事者ヅラして袋叩きに参加するのは人間の悪いところだ。

 

思うに、他者を「面」じゃなくて「球体」として捉えることが出来たら、この手の問題は少しはマシになるのかなと。

とても抽象的な考えだけど。笑

 

そもそも、人間はひどく複雑で、ホントに様々な要素が組み合って出来ているワケだ。

だから、人間は家族・恋人・親類・親友だろうと、互いが互いに100%理解するのは、ゼッタイ無理っしょ。

ましてや、他者を「面」として捉えようとする人間の性質を踏まえたら、なおさら。

 

でも、「球体」として人を捉えれば、ある程度スッキリしそうじゃん?

それは、ちょうど球体のジグソーパズルみたいに、いろんなピースが組み合わさってるイメージ

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*イメージ図

1つ1つのピースの大きさは人それぞれだし、もちろん形も色も組み合わせもバラバラ

そして、ピースにはそれぞれ裏表があって、外側からは見えにくい中心の「核」だってある。

そして、それぞれのピースはその人の個性や才能、その人だけの「何か」であり、「球体」がその人自身なんだよなあと。

いい面・ダメな面、強い面・弱い面、あらゆる面が組み合わさっての人間だ。

「ギャップ」というのは、所詮「それまで知らなかった、その人の一部分を知ったということ」に過ぎない

 

こんな感じで、人って「面」じゃなくて、「球体」として捉えるのが最も適当だなーと思ったり。

テレビやネット、リアルの対面でも、とにかく「その人の、なにかと目立つ部分だけ」がクローズアップされがちだけど、それだけでその人を語るのはホントに稚拙なワケで。

人を「面」でなく、「球体」として見れば、「ギャップ」とかいう「人間のしょーもない性質から生まれるしょーもない言葉」はすぐになくなるし、他者に対して1ミリくらいは優しくなれるかもね

 

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