「障害があるんです、私と私の子どもには。」と彼女は言った。

こんにちは、ひよっこウクレレ弾きのヲータケ(@hiddy_ukulele)と申します。

音楽に関しては、世界的に見ても最底辺な存在の僕ですが、先日からひっそりとサッポロでウクレレ教室を始めました。

ゲストハウスでやったり、個人でやったりと、おかげさまでわりと忙しいです。

 

そして、開始して1ヶ月ほどが過ぎますが、その中でとても印象的な体験をしたので書こうと思います。

正直、自分以外の一個人のコトを勝手にブログでネタのように扱うのはどうなのかなと葛藤しています。

が、しかし、現実と向き合うためにここに記しておきます。少しだけお付き合いください。

 

「障害があるんです、私と私の子どもには。」と、彼女は言った。

「心情と枯れ葉を重ねる女性心情と枯れ葉を重ねる女性」[モデル:たけべともこ]のフリー写真素材を拡大

先日、ある女性にウクレレを教えるコトになりました。

齢40ほどの人妻です。

ラインでやりとりをし、後日、澄川というはずれの街で待ち合わせをしました。待ち合わせのスーパーの中に彼女はいました。

とても小柄な女性で、なんだか怯えた表情をしており、顔色はお世辞にもあまり良くはありませんでした。ウクレレケースがとても大きく見えました。

挨拶を済ませ、練習場所である近くの公園まで歩きます。

 

公園には大きな屋根付きのベンチがあり、そこに荷物を置き、さっそく準備をします。

僕は、前日に弦を張り替えたばかりのウクレレをウキウキしながら出します。

そして、彼女もケースからウクレレを出します。雰囲気のあるコアのウクレレでした。

 

しかし、なぜかそのボディはキズだらけで、ところによっては大小ヒビ割れもしてます。

あんなにキズだらけの楽器をそれまで見たことがなかったので、正直驚きました。

 

"なんだか、キズ多いですけど、大丈夫ですか?"

"えぇ。ウチの子がこれ(ウクレレ)をワケもわからず叩いて遊ぶんですよ。どうしてもキズが増えちゃって....."

"そうなんですか〜。お子さんから離して保管しなきゃですね。笑"

 

少し気になりつつも、レッスンを進めていきます。

彼女は、『以前、ウクレレ教室には通っていたけど最近はまったく弾かなくなった。』と言っていた通り、ドレミの確認から始まり、運指の確認など、初歩の初歩からのスタートでした。

彼女はつまづくたびに、「私、ホントにモノ覚え悪いんですよ....」と嘆きました。

自己肯定感のとても低い方なので、「そんなことないですよ。すぐに弾けますよ。笑」と軽い気持ちで僕はフォローを入れました。何度も。

しかし、そんなものは意に介さず、その後もことあるごとに嘆いていました。

そして、その表情は苦笑いというより、どこか仄暗いものを含んでいました。

 

時間は進み、少しだけ休憩を取ります。

なんてことはない、世間話でもしようかなと、僕は彼女に質問をしました。質問をしてしまいました。

「普段、何されてるんですか?」

「いつもは家にこもって主婦をやってます。外で働けなくて。」

「主婦もお忙しいですよねぇ。」

「いえ。障害があるんです、私と私の子どもには。それで、外では働けないんです。モノ覚えが悪いのはそういうこともあるからで.....。」

 

はじめ、意味がわからなかった。

肝心な時にコトバというのはまったく出ないもんです。

障害?働けない?悪い?

 

音楽で楽しくユルく遊べたらなと、のほほんとした気分でいた僕にとって、あまりに唐突な瞬間でした。

そして、どこか疲れ切った彼女の表情を一瞥し、そして彼女のキズだらけのウクレレを見て、悟りました。

 

そのあとはなにも聞きませんでした。聞けませんでした。

障害についても、家庭のことについても、それ以外のことについても。

そして、どうしようもない"逃げの気持ち"から、僕の両手は自然と彼女のウクレレへと伸びました。

"それ、弾いてみてもいいですか?"

"はい"

 

ボディ裏にある激しいヒビ割れとは裏腹に、甘くて優しい丸い音色がじんわりと滲み出たのを覚えています。

 

どんなコトバをかければ良かったのだろう。

「夜間のベンチ夜間のベンチ」のフリー写真素材を拡大

彼女にどんなコトバをかければ良かったんだろう。

ずっと考えていました。

レッスンの最中も、休憩中に飲みものを買いに行った時も、帰路でまたがった自転車の上でも。

"大変ですね" "辛いですよね" "世の中理不尽ですね" 

全部、違う。

 

そして、やっぱり最後までわかりませんでした。

 

おこがましいですが、僕が想像し得ない・経験したことのない現実を生きる彼女に対して、僕がかけられるコトバなんてあったのでしょうか??

自分という人間の薄さや小ささ、しょうもなさを思い知るには十分すぎる、たった2時間の出来事でした。

 

キレイゴトじゃ誰も救えない。

「河川敷と空河川敷と空」のフリー写真素材を拡大

ウクレレで表立って何かをするようになり、僕はSNSを中心に「ウクレレ楽しいんですよ〜。」とキレイゴトばかり撒き散らしています。

今回の女性も、SNSの発信をキッカケに知り合いました。

しかし、キレイゴトだけを並べても、誰も救えないし、救われないのだなと痛感しました。

体裁だけキレイに整えたコトバは、所詮ただの「音」や「記号」にすぎません。

それらには何の価値もないのです。

そんなコトバだけで変えられるほど、人も現実も甘くないのです。

 

ともすれば、"自分のやっていること"の意味や価値を考えさせられます。

「自分なに言ってんだろう。なにやってんだろう。」と正直わからなくなる時があります。

僕が想像し得ない現実のなかで、あの女性は今もさまよい、戦い、生きているのでしょう。

わずかな想像力を働かせ、そのことを思うと、自分のやっていることが価値があるのか、本当にわからなくなります。

自分の矮小な経験でも、何かしら世の中に価値を与えられるのか、ということを考えながら行動しても、やっぱり分からなくなります。

 

できることを、やるだけ

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でも、ぶっちゃけると、自分の行動の価値とか意味について考えることなんて、どうでもいいのかもしれません。

  

今でも、人にウクレレを教えたり、一人で弾いてる時に、ふと、あの日のレッスンを思い出します。

はじめは本当に拙かった彼女も、終盤になると、少しだけ曲のフレーズを弾けるようになりました。

そして、少しだけ楽しそうな笑顔を浮かべていました。あの瞬間だけ、仄暗さは消えていたように思えます。

単純に僕の見間違えかもしれません。もしそうだったら、ゴメンなさい。

でも、確かに、あのとき彼女は楽しそうに音楽をしていました。

そう解釈しています。

 

もちろん、「それが僕が彼女に対して与えた価値だ!」なんて愚かなことは言いません。

僕のコトバやウクレレでは誰も助けることはできないですから。

 だけど、「自分があの日、あの行動を起こしていなかったら、あの結果は生まれなかったんだろうな」と思ってます。

仮に、あのレッスンの前に、あの女性と子どもに何かしらの障害があるということを知っていたとしても、僕がレッスンを断るなんて選択はしなかったでしょう。

それこそ愚の骨頂でしょう。笑

 

それを踏まえて、ひよっこウクレレ屋の僕ができることは、"誰かのとなりでウクレレを弾いて、ただ寄り添い、その人が変わる様子を楽しむこと"だけかなと思います。

 

できることを、やるだけですね。弁より行動なのです。

明日も旅レレしよう。日々精進なり。

 

See U