バカレレ!

サッポロで遊び倒すブログ

"小さな自分"を認めて生きる。ざっくり読めるヲータケの人生、そしてこれから。

はじめまして、ヲータケ(@hiddy_ukulele)です。

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写真は今年の2017年4月に撮っていただいた奇跡の一枚です。

実物はもっとゴリラ感ある顔してます。なかやまきんに君伊藤英明を足して、伊藤英明を引いた顔してるとよく言われます。

 

今は文字を書いたり、ネットで物販したり、ゲストハウスで遊んだり、ウクレレ弾きながらなんとか生きてます。ガチのフリーランスになりきれない、強めのフリーターって感じです。

今回、ガッツリとプロフィール記事を書いたみたので、良ければ眺めてってください。 

はじめに

ぼくは、あまり"自分の本心"を出す人間ではなくて、初対面の人に限らず、家族、友人、恋人その他あらゆる近い人に対しても、それは同じ。

"嫌われたくないから"なのか、はたまた、"面倒なことを避けたいから"なのか、自分にもよく分からない。

おそらくは後述の中学時代のトラウマが原因かと思うけど。笑

とにかく、けっこう本心を隠しながら生きてきた感がある

 

だけど、不思議なことに、ブログではけっこうスパスパ本心や考えていることを言えちゃうんだよね。それがブログの一番の魅力だったりするよね。

ということで改めまして、"本心全開”でヲータケヒデナヲの経歴やプロフィールをここに綴っておきまっせ。

まあ、大した人生じゃないし、面白くもなんともないので、ササーッとスワイプすれば5秒で読めます。じっくり読めば5分じゃ足りないかも。 

 

それでは、すこしお付き合いください。

幼少期

誕生~保育園時代

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人生の団欒期。

青森県弘前市という"人よりもリンゴの数が多い"片田舎にオンギャーと生まれる。

両親に加え、姉・兄・僕・弟という4人兄弟、そしてじいちゃん(故)・ばあちゃん、という大所帯の家族でした。

本名・大竹秀尚(おおたけひでなお)の由来は、姉や兄よりも、優な人間にということらしい。

残念ながら、その願いとは裏腹に、幼稚園に通っていた時は、お昼寝の時間に寝ないで、園長室に無断で入ってお菓子を食べるという立派なおバカに成長

しかし、そんなおバカなくせに、シャイなので友達を作るのがとても苦手というどうしようもない子だったようだ。これは今もあまり変わらない。笑

しかし、印象的だったのは、"ジェリック"というフィリピン系アメリカ人の子とよくツルんでいたこと。

彼の両親は大学の教授で、研究のためにわざわざ弘前に来ていたらしい。

記憶が曖昧だけど、ジェリックもシャイで、他の子とは遊ばなかったけど、なぜか僕とだけは遊んでくれたらしい。

僕も他の子と遊んだ記憶があまりないけど、ジェリックのことはかなり覚えていたりする。

彼とは幼稚園で別れたっきりで音信不通だけど、いつか会いたいな。 

 

小学生時代

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人生の微妙期。

まず、忘れられないのが小学3年生の夏。

当時、ニンテンドー64の「スマブラ」「どうぶつの森」「パワプロ」に死ぬほどハマっていて、夏休みの自由研究で「"どうぶつの森"で季節ごとに釣れるサカナと捕れるムシについて」という題材で出した。

見事、サカナとムシを全コンプリートしドヤ顔で提出したら、人生初の職員室に呼び出し&説教タイムを受ける

「好きなことを追求しただけなのに、なぜ怒られるんだろう」と子供ながらに不思議に思うと同時に、世の中の理不尽さを思い知った。

そして、自然と「好きなことは自分の中だけに留めて、自分だけで楽しもう」という風になっていった。

 

そして、小学校高学年。

当時、「兄がやってるから」という理由だけで、ヒエラルキーの頂点である野球部に所属する。1個上のセンパイがそんなに上手くなかったのもあり、彼らを押しのけてちゃっかりレギュラー入りする。

加えて、時折そのパイセン達が「おおたけは上手いからいいよな。」と、やっかみを投げつけてきてウザいこともあり、「"年上だから"、という理由で無条件に敬意を払う必要ってないよな。」と、心の中では見下し、完全につけ上がってた。ごめんねパイセン。笑

小学校は、まあ、つまらなかったな。笑

青春期

中学時代

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中学生は人生のダークサイド期、であると同時にターニングポイント。

まず、部活。

野球で肩を痛めたり少し飽きたこともあり、思いつきで剣道部に入部。

ここでもクッソほどウザいセンパイで出会い、「"年齢が上"="敬意を払う"という必要はない」という考えに拍車がかかる

しかし、"年上が絶対"という空気にイヤイヤ従って、3年間部活を続ける。

剣道ってクサイし痛いし、今思えば、なんであんなに続けていたのか謎だったな。

 

次に学校生活について。

中2の頃、僕はいわゆる中二病を患ってて、精神的にかなり尖ってて(笑)。

んで、これがキッカケでクラスの一部のメンツからイジられたりしてた。

今でこそ、そんなイジりも笑いに替えられるくらいの自信しかないけど、当時のヲータケ少年はこれに我慢ならなかった。ちっさいなあ。笑

そして、積もり積もった鬱憤が原因で、そのメンツのひとりを勢いでノしてしまい、病院送り!!とまではいかず、保健室で安静にする程度の障害を負わせてしまった。で、これがキッカケでクラスから若干浮くということがあった。

正直なハナシ、相手をぶっ飛ばした時、とてもスッキリした。そして同時に、あらゆる人間関係って本当にマジでめんどくさいと本気で思った。本気で。

 

そして、忘れもしないのは、そのケンカの直後。

中1の時の担任で、生徒指導のS先生と話をすることになった。コトの経緯を説明して、とにかくいろんな話をした。まあ、あんまり覚えてないんだけど。

もちろん暴力についてはガッツリ叱られたけど、それ以上に、なぜか先生は僕を最後まで精神的に擁護してくれた。というより、"小さい自分をありのまま"認めてくれた

ケンカ直後は、これでもかってくらい、周りから冷ややかな視線や態度を受けていたから、あの時の彼の態度やコトバにどれほど救われただろう。

ちなみに、先生と話した時はなんかがプツンと切れたように号泣したことだけは覚えている。

 

この経験から、"自分にとって害になりうる人間"を見分けるクセがついて、付き合う人を自然と断捨離するようになった。

とか言ってるけど、ただの他人不信になりつつあったのです。笑

と同時に、S先生に憧れてすこしだけ教師がカッコイイなと思い始めた。両親以外で初めて尊敬できるオトナだったからね。

そんなやさぐれ中坊でした。

 

ちなみに小中から今まで付き合いのある人は片手の指で十分足りる。笑

 

高校時代

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高校時代はなんやかんや青春してた。

部活は勢いでラグビーを選んだんだけど、先輩も後輩も同期もみんな良い人ばかりだった。練習はきつかったけど、アタマおかしい人しかいなくて本当に楽しかった。

記憶にあるのは、「マネージャーに対して、誰が1番イカした告白をできるか選手権」みたいなのをやって、僕は何を思ったか「君の心にトライ」という迷言を放って、みんなをジワらせたことだ。懐かしいw

 

3年間通して、クラスのメンツにも恵まれて、安易な表現だけど、とても笑顔の多い毎日でしたね。最近みんなとはあんまり顔合わせてないけど、また集まってバカ話したいな。

心残りだったのは、ラグビー部にふさわしいゴリラ感溢れる顔と肉体ゆえに彼女が出来なすぎて、あんなことやこんなことができなかったことだけかな

 

んで、この頃は音楽にハマり、高2くらいからベースを弾き始める。

初めてコピーしたのは確かビークル。そして、銀杏ボーイズの「あの娘に1ミリでもちょっかいかけたら殺す」だったかな。僕のカラオケの十八番です。

あと、林檎女史、事変、バンアパandymori毛皮のマリーズ、オカモトズ、レッチリ、ホルモン、predawn、カランコロン、etcいろいろ聴いてました。

最終的には、キモくてエモいベースの世界に取り憑かれて、高3の受験シーズンにはprimusやVictor Wooten、ベラフレック、スタンリークラークとか聴き始めて、ベースらしからぬベースを志していくように。

 

また、成績が上の下、部活の入賞など多面的に評価されて推薦入試の資格をゲッツ。

本番当日は、極度の緊張からカラスは真っ白、じゃなくて、終わった後何も覚えていないほど。落ちるのを確信。

が、何の間違いかそのまま受かってしまい、職員室で雄叫びを上げる。先生に怒られる

 

なんだかんだで長い学生生活のなかで1番ホンワカパッパしてた時期でした

たぶん、この時期に出会った人たちのおかげで他人不信の感じはだいぶ薄まったかも。 

大学時代

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人生のROM期。

地元・弘前大学人文学部へ入学する。

しかし、弘前なのに地元の人少なめだし、津軽弁じゃなくて標準語だし、みんなオシャレやし、そもそも僕はそんなコミュ力高くないし、と色々あきらめていると、大学デヴューできず。する気もなかったけどね。

サークルは、JAZZ研究会というジメっとした面白さのあるサークルに入る。センパイたちがうますぎてドン引きと憧れの間を行き来しながら、1年生の時はほぼ幽霊部員でした。

サークルも勉強もあまり熱心ではなかったけど、塾でバイトを始めたことをキッカケに「教える面白さ」にハマり、教職への道を本格的に志す。

が、この選択がのちのち人生をカオスへと導く。

 

バイトも勉強もテキトーにこなしながら、2年生からボチボチとサークルに力を入れ始める。

相変わらず憧れていたVictor Wootenのライブに行き、「精進せよ、小僧」みたいなありがたいコトバをいただき、なんだかんだで部長になる。

とにかく音楽にハマりにハマっていた時期で、生活の中心にベースがあった。

尚、この頃、初めてまともに彼女ができる。付き合って2週間で脱童し、咽び泣く。

 

3年生になり、ゼミやらサークルが忙しくなり、少し病む。

思えば、空回りばかりしていて、周りに恐ろしいくらい迷惑をかけていた時期だ。みんなゴメンね。大きなライブが終わった直後から、ベースもとい音楽に対する意欲が急速に減退していく。

しかし、たまたま行ったブルームーンカルテットのライブで、富永寛之さんとウクレレに出会い、何かがいい感じに吹っ切れた。それからウクレレを本格的に始めるのはまだ少し先の話。

 

音楽や学校生活が少しダルくなっていったが、なにか面白いことしたいなと思い、バイク乗りの友達に誘われ二輪免許を取り、その直後、親の反対を押し切るカタチで250ccのバイクを購入。スズキのイントルーダーだった。

んで、この年の夏休み、お金だけはそこそこあったので、彼女の地元であるサッポロにバイクで単独ツーリングしに行くことに。

はじめての北海道の道では、山々や森の緑と匂いを楽しみ、海の香りと景色に見とれ、街の暖かさを求めて、ただただ楽しく走れた。これが、僕の"旅"の原点だ。

 

3年の秋、サークルは代替わりし、いよいよ就活シーズン。でも、「教職だからとりあえず勉強に集中しよ〜」と、相変わらずノンキに過ごす。就活は一回もせず。ちなみに今でも、「エントリーシートって何?」って感じだ。

 

年をまたいで、3年生が終わり、4年生になる前の春休み。

漠然と「海外に行きたい!」と考え、自然が好きなこともあり、勢いでアメリカのグランドキャニオンへのパッケージツアーへ参加する。これが初の海外体験だった。

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写真やネットの画面でしか見たことのない景色がそこにはあり、自分のこれまでの旅行とか観光という概念が一気に崩壊した。

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そして、"旅"とか"世界一周"というワードに現実味を感じ、死ぬまでに世界を旅してやろうと決意する。 

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ホースシューべント。ここ大好き。

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ルート66でハーレーに乗った時のやつ。おっちゃん優しかったなあ。

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SUPREMEなアメリカから帰り、 4年生になる。

で、旅も終わったし教職がんばろう〜っと意気込んだ矢先、教務課に呼ばれる。

その内容は、「教育実習用の単位が足りとらんから、教育実習には行かせられんわ。」というもの。ただただ自分の単位設計のミスであり、弁明の余地なし。本当のアホやらかしたなあ。

この時点で4年生のうちに教職の資格は取れないことが決定したので、どうするか考えた結果、卒業した上で科目等履修生として免許資格の取得を目指すことにした。

いわゆる、就職浪人というヤツだ。

これが決まり、4年生はそれ以降、就活もせずバイトとサークルに明け暮れる。

たまに文才のない彼女の代わりに志望理由書を書いたりしながらすごす。ちなみに、イケダハヤトさんやテツヤマモトくんなど、ブログの世界についてこの頃から知り始める。ROM専だったけどね。

 

あれよあれよと時は進み 、4年生の1月。

周りに謝りきれないほど大きな迷惑をかけながらも、なんとか卒業にこぎつける。

と、同時に、サークルの追いコンシーズンに突入。

ベースをほとんど弾いていなかったことや、ブルームーンカルテットにゾッコンしてたこともあり、この時期に思い切ってウクレレプレイヤーに転向してみる

追いコンもウクレレで出演する。やっぱり色々と空回りしてたけど、楽しかったからオッケー。笑

終わってから気づくけど、いい同期に囲まれてたなあと懐古する。と同時に、もっと部長として頑張るべきだったなと自分のリーダーシップの弱さを悔いる。笑

 

追いコン後、大きなターニングポイントが来る。

卒業間近にまたまた教務課に呼ばれる。もう勘弁してくれよ〜とイヤな予感を抱えながらも、やはり予感は的中する。

実は、この翌年に学部の大きな改変が予定されており、これに伴い教授が数名いなくなったり、授業が減ることになった。

その結果、『科目等履修生として1年間の在籍で目的の単位を全て履修できる』はずだったのが、『隔年開講の講義が発生したことで、最低でも2年間は在籍しない教員免許は取得不可』ということになった。

つまり、大学にあと2年は通わないとアカンで、という宣告だった。本当に絶望した。

そして、この時、はじめて自分の気持ちに素直になる。

「たかが教員免許のためにもう自分の時間をかけたくない。もう大学に行きたくない。そもそもこんな自分勝手な人間が教師に向いてるワケがない。」

こうして、科目等履修生になることをやめ、一転してニートに。

自分の将来についてあまりにも無頓着で、漠然と毎日を暮らし、ただただ人生をROMっていた大学時代だった。馬鹿すぎるこれまでの自分に怒りを通り越して、哀しくて笑うしかなかった。

日本巡礼

 

大学卒業し、とりあえずアルバイトしながらお金だけは貯めて、何をしようか迷いに迷いを重ねながら過ごした。

その中で、漠然と「旅でもするか。。。」と考える。ぶっちゃけ内心では「就職なんかしたら、こんな時間取れなそうだし、ある意味チャンスじゃね?」と思ってたりもした。

んで、完全に勢いで世界一周したるぞーーーーー!!!!と宣言する。 

 

しかし、親や周りの知人から、それはそれは死ぬほど止められ、ケンカにケンカを重ねる日々でした

というのも、世界各地でイスラム国によるテロが頻発してた時期だったので、止められるのも無理もないよね。

加えて、何のスキルもないし、目的もなくテキトーに放浪して何が得られるのよ??と詰問されると、「面白そうだから」というバカすぎる返答しかできなくて、その度に周りとケンカし、幻滅させていった。

 

一時期は公務員を目指すために、少し勉強にも手をつけたりしたけど、そんなん付け焼き刃で結果出せる人間ではないので、すべて中途半端に終わる。

4~5月はそんな感じでモヤモヤを抱えながら生きてたけど、その間も意地になって勝手に世界一周の計画たてたり、他の人のブログを見て妄想を膨らませたりして過ごした。

加えて、彼女に会うために何回か来札したり、北海道の各所を旅したり、東北をくるっと回ったりして、旅へのモチベーションを保っていた。

 

6月の中旬。やはり敬愛してやまないブルームーンカルテットのライブに行くと、何の間違いか、翌月の彼らのライブの前座を任されて、失禁する。

そして、この時期、旅のことについて周りと意見が決着する。結局、「世界一周はまだ早い。お前だけの命じゃない。」と至極真っ当な意見をいただく。

で、譲歩に譲歩を重ねて、日本を旅することはオッケーということになった。

自分の無力さと信用のなさに枕を濡らした

 

7月。憧れのブルームーンの前で弾かせてもらい、そして彼らの演奏のすごさをまざまざと見せつけられ、精進することを誓う。富永さんに「もっと自分を出さなアカンで!w」と神髄を突くようなありがたいコトバを頂戴する。

そう、やはり僕は自己表現が弱い人間ということがいかんせんバレバレだったようだ。

 

そして、もっと自己表現を鍛えようと考え、このブログを開始する。

当初は収益化などは一切考えず、ただただ駄文を綴っていた。まあ、今もあまり変わらないか。

 

旅の資金を貯めるために、細かい電子部品を扱う短期の高額バイトを行う。が、これがかなりキツくて、文字どおり機械のような労働を強いられる。

あまりにもストレスがたまり、ブログでこれでもかと黒いものをブチまけてたら、いろんな人が読んでくれるようになる。ふつうに嬉しかった。

その後、彼女がブラック公務員として働いてるんですよ〜という記事がちょっとだけバズる。そして、これから旅するんですよね〜ということも流してたら、読者さんもかなり増えた。やはり嬉しかった。

 

8月。クソ暑い時期にいよいよ日本巡礼をスタート。

"いろんな地域をめぐり、移住先を検討する"というコンセプトでスタートした日本巡礼だったけど、ぶっちゃけスタート前から8割ぐらいサッポロに決まっていた。笑

だって、彼女いるしメシうまいし人優しいし、無敵やんサッポロw

 

と思ってたけど、そんなことガチで忘れるくらい、素晴らしい旅でした。

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まだまだ写真はあるけど、一部抜粋ということで。

ヒッチハイク、カウチサーフィン、取材、人から人を訪ね、といった風にいろんな人物やいろんな景色、価値観、文化に出会い、自分のこれまでの全てがひっくり返った。

また、「荷物が少ないし、なんか役立つかも」とたまたま持って行ったウクレレを旅先の各地で弾いたり、人とセッションしたりして、"旅レレ"という可能性を大きく感じた。

何より、多くの人に会って世話になる中で、"誰かの人生の一部に成っている自分の人生は、誰かの人生の一部から成り立っている"というややこしい真理を知るに至ったよ。

ブログもヘタクソながらガンガン書いてて、1日に5本更新したこともあった。ほとんど食レポとローカル情報だったけどね。

間違いなくあの旅で何か大きなものが僕の中に入ってきた気がする。

フィリピン留学

11月頃。お金が尽きかけたのもあり、旅を終える。

と、同時に、以前から興味のあったフィリピン留学に行くことに。

でも、ぶっちゃけ旅で燃え尽きた感があって、ちょっとヤル気が出なかったんだよね。留学もそれ以外も。ホント燃え尽き症候群だった。

でも、周りの人たちが優しくて、面白い人ばかりでなかなか楽しかった1ヶ月だったよ。

英語はもちろんだけど、ウクレレ弾いて、歌を歌って、ネポモール行って、遊んでばかりの1ヶ月だったなあ。

写真載せようと思ったけど、消えてた....。shit.....。

ちなみに英語はフィーリングでしか話せないっす。笑

そして、「留学を終えたら、働かなきゃならんのか〜」と内心どこか焦っていたのはここだけの話だ。

札幌へ本格移住

帰国し、やはり福岡か札幌に移住を検討したけど、やっぱり札幌への移住を決定。

ぶっちゃけ、福岡は夏の暑さがやばすぎてね。笑

というワケで、12月に家を借り、1月に実家から逃げるように本格移住。

 

とりあえず、訛りを矯正しなきゃ仕事もないだろうと思い、コールセンターでのアルバイトや接客の日雇いを経験しながら食いつなぐ。見事?訛りの矯正に成功する。

同時期、以前から興味のあったプログラミングスクールに通ってみる。

が、しかし、旧態然としたクソみたいなビジネスマナーの講習などどうでもいいことばかりやらされ絶望したので、速攻で辞める

 

その後、2月までバイトを続けるも、突然やめてしまう。

これは僕も原因はわからないけど、すこし鬱っぽくなってしまったのだと思う。

旅を終えて、留学を終えて、移住を終えて、さあ、これからだぞって時。

なんか、全てがつまらなくなってしまい、冷え切ったアパートの部屋にふさぎこむ日が続いた。

やりたいことがなくなり、「なぜ、いま、ここに自分はいるんだろう」「自分は何もできない人間なんだろうか」とくだらない自問自答を繰り返す日々が続いた。

 

無気力で無力な自分という存在を呪い、時間とお金を食いつぶす日々が続く。

 

最愛の彼女と別れる

すこし精神的に回復したけど、こんな精神状態じゃ外で働けないなと思い、在宅で出来る仕事を探し始める。

幸い、"せどり"をやっていたこともあり、海外からの輸入代行・輸入転売をし始める。

今もこれは収入源のひとつになっている。収入は大卒の初任給くらいだ。

そんなこんなでなんとか食いつなぎながら、たまには気分転換に外でバイトするという生活をしつつも、週末は彼女と楽しく遊んだりしてた。はずだった。

 

「一回、離れてみない?このままだと苦しい」

 

本当に突然の告白だった。あ、こうやって終わるのか.....といろいろ悟った。

正直、その言葉が出る少し前から、僕も彼女に対して少し疲れていた点があった。口を開けばブラックな仕事のことばかりで、それがとても嫌だった。

そして、彼女も「自由すぎるようで、ただだらしないだけの僕」に嫌気が差したのだった。

お互いの負の側面にばかり目がいってしまった結果、突然の言葉ではあったけど、満場一致ですんなり受け入れられた。

けど、ココロの底はえもいわれぬ悲しみで満ちていた。

「終わるときってこんな呆気ないのか。これまで彼女にかけてきた時間やお金、パワーってなんだったんだろう。 」と、人生最大の虚無感に襲われた。

そして、2人で死ぬほど泣いた。

もう、一生分の恋をしてしまったのかもしれない。

 

ブロガー・ヤマモトテツくんのブロガーイベントに参加し、いろいろ動き始める

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"彼女を追いかけて移住したのに、移住してすぐにフラれる"という人生最大のギャグをブチかまして撃沈したけど、「これはネタにしないとやってられん!」と、根性で立ち上がる。

とりあえず、なんかやろうと思い、完全放置プレーだったブログを再開する。

んで、偶然にも、ヤマモトテツくんのブロガー向けイベントが札幌で行われる予定があり、これに参加する

ブロガーの実態に迫りながらも、今後の展望に少し期待を持つ。

 

と同時に、開催場所であったTen to Ten Hokkaidoの人々に拾ってもらい、ここで企画スタッフをする流れに

旅の経験を活かして、ヒッチハイク企画を実施したら、思いの外周りからの反応が良く、自信になる。

以後、個人的にはせどり・輸入ビジネス、ブログ運営に加えて、ゲストハウスの外部スタッフとして主に企画・ウェブ事業に携わる

 

札幌の若手ウクレレ屋として活動し始める

また、少し病んでいた時からココロの支えになっていたウクレレを用いてなんか仕掛けたいと考える。

サッポロでは若手のウクレレプレイヤーが少ないこともあり、密かに「とりあえずサッポロNO.1のウクレレ屋にでもなるか。」と思い立ち、SNSを駆使しながらウクレレ教室やイベントを短期間で繰り返し開催する。開始から1ヶ月で約20人にウクレレを教えた。

周りからの反応もまずまずだけど、次なる一手、二手先を考えながら、また面白いことを仕掛けるつもりだ。

また、「サッポロの埋もれているローカルをコンテンツ化したい」と考え、職人さんとともにウクレレを自作し始める。今後、注目してほしい。笑

 

小さな自分を認めて、突き抜けてみたい

ここまで見ると、ホントに自分はしょーもない人間だなぁと思う。惨めで、器が小さくて、ホントにどうしようもないクズだ。

まともに仕事はできないし、カッコよくもないし、面白くもないし、かといって逆に笑えるほどツマラナイわけでもない。最高に中途半端な存在だ。

でも、最近強く思うのは、周りの人間には本当に恵まれているのかもしれないということだ。

他人不信だった頃に比べると、ずいぶん人と関わることに積極的になってきたなと感じる。笑

まだ、他人とのコミニュケーションが苦手な部分があるけど、それは他で補えばいい。

そして、できないことは素直に認めて、間違えながら進めばいい。

 

これまでダメな自分を認めたくなくて、多くの嘘をつきながら生きてきた。あげく、自分にも嘘をついてしまっていた。

でも、それだと人生面白くなるワケないよな。

 

僕は愚かだけど、その分周りの人に恵まれている。だからこそ、こんな小さな自分でもできることがある。生きる意味がある。

 

しょーもない人生だと思ったけど、ようやく面白くなってきたよ。

そして、もっと面白くするよ。

 

できることからコツコツと攻めていきます。今後ともダメな僕をよろしくお願い致します。ブログも楽しんでいきます。

 

大竹秀尚/ヲータケヒデナヲより

 

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